今年の春の叙勲が4月29日に発表され、熊野市・南牟婁郡からは木材業振興功労で熊野市井戸町、株式会社「nojimoku」会長で元三重県木材組合連合会長の野地洋正さん(73)が旭日小綬章に輝いた。
野地さんは1975年4月に父・久弥さんが立ち上げた野地木材工業に入社。1993年5月に同社代表取締役に就任した。入社以来47年にわたり社業発展に尽力。木材の安定的な供給を通じ地域社会に貢献してきた。2005年から熊野木材協同組合理事長、2016年からは三重県木材組合連合会の会長、三重県木材協同組合連合会の理事長として木材業界の振興発展に尽くした。
地域においては雇用の受け皿として、小規模中心の木材業界で県下トップクラスの就業者を受け入れ、地域の就業や経済面でも貢献。環境負荷の低減を図るため、木屑炊きボイラーを導入して木材乾燥の熱源として活用するなど、環境に配慮した経営に努めてきた。
熊野木協や県木材連では「三重の木」認証制度を推進。東京2020オリンピック・パラリンピックでの県産材製品の正式採用の力になった。若者など幅広い世代に林業を知ってもらおうと、熊野林星会などと連携し「セーザイゲーム」を考案。温厚な人柄と卓越した指導力で信頼を集め、熊野商工会議所で副会頭を務めるなど、地域経済の牽引にも日々尽力している。
叙勲の知らせに野地さんは「親父の後を継いだ時は厳しくて、どうなるかわからない状態だった。自分の会社のために色々なことをやってきました。それが地域や業界の功績として認められたなら嬉しい」と話す。
2年前に長男の伸卓さんが社長となり、社名を「野地木材工業」から株式会社「nojimoku」に変更。家業は3人の息子たちに任せたが、原木の仕入れなどではまだまだ現役として力を発揮する。会社について「乾燥や品質に気を使ってやってきた。加工もするなど製材業だけではない特徴を持った製材所になったので、生き残ってこられた。外材に負けないよう、業界全体で品質を高めていかなければならない」と話す。
「代々、山林業に携わってきた。下刈りとか枝打ちとかもやった。今は自分ところの山を切って素材業もやっています。自分のところの商品がお客に認められ、これからもnojimokuの木を使わせてもらいますと、木を褒めてもらったら嬉しい」と野地さん。趣味は40歳ぐらいから始めたゴルフ。「昔は那智勝浦のコースをスコア75で周ったこともあります。今は腰が痛くてあまり飛ばせず100を超えてしまう」と笑った。