紀州鉱山の歩みがひと目に 操業当時の賑わい懐古 入鹿地区まち協 交流センターで写真展

 熊野市紀和町の入鹿地区地域まちづくり協議会(中浦誠会長)による写真展「紀州鉱山の歩み」「紀州鉱山と板屋の街並み昔と今」が15日から、熊野市井戸町の市文化交流センターで始まった。同展は24日(金)まで。

 同協議会によると紀州鉱山は昭和9年、紀和町内各地の鉱山を石原産業が統合して誕生。町内の各堀場から採掘された鉱石が、トロッコやベルトコンベアによって板屋地区にある選鉱場に運ばれた。昭和10年に建設された選鉱場は、総面積が2200坪、高さ75㍍、選鉱処理量は1日1000㌧と東洋一の処理量を誇り、24時間操業していたことから「不夜城」とも呼ばれていたという。

 昭和53年の閉山までの44年間で約950万㌧の銅鉱石を採掘し、最盛期の昭和18年には、3000人あまりの従業員を擁する賑わいのある事業集落に。鉱山操業当初から 11月には毎年「山神祭」と呼ばれる鉱山関係者を交えた祭りが盛大に行われ、今でも「ふるさと祭り」として紀和町内で受け継がれている。

 写真展は同協議会が入鹿地区の過去の暮らしや文化が分かる写真を公募、保存するとともに写真展示の機会を設けているもので、今年度は広く知ってもらおうと交流センターでの開催となった。石原産業が持つ古い資料をはじめ、地域住民の協力により、鉱山内での作業の記録やその時代の人々の暮らしなど、紀州鉱山稼働当時の貴重な写真がズラリ。多くの人で賑わう山神祭の様子や、まさに不夜城と言える昭和30年代の選鉱場、バスが運行する板屋ロータリー、労働者が大挙して歩く板屋駅の通勤風景など76点と、今と昔の街並みを比較した16点が来館者の興味を集めている。

 同協議会では「紀和町の鉱山の歴史は古く、1200年以上前の奈良時代から始まり、大宝3年(703年)に紀伊の国から朝廷に献上された銀、東大寺の大仏建設にも多量の銅が供出されたと記録されています。また、楊枝川地区には南北朝時代から江戸時代にかけての採掘跡が多く残っています。選鉱場は昭和57年に解体されましたが、コンクリートの柱群は今でも残っており当時の面影を偲ばせます。紀州鉱山の詳しい歴史については、紀和鉱山資料館で知ることができますので、興味のある方はまず写真展をお楽しみください」と呼びかけている。

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