志原の〝新しき村〟 近代史100年最大のロマン 熊野古道センター 中田さんが黎明が丘語る

 尾鷲市向井、三重県立熊野古道センターで2月27日、講演会「南紀新しき村 黎明が丘の真実」が開かれた。熊野市久生屋町の作家・中田重顕さんが御浜町志原に存在した「黎明が丘」の真実とロマンを、元有線放送アナウンサーの阪本浩子さんの朗読とともに語った。

 講演会には約90人が来場。当初は定員40人だったが申し込みが多く、講演会場を変更するとともに新型コロナウイル感染防止対策を徹底して実施した。

 中田さんは「南紀新しき村・黎明が丘は近代史100年の最大のロマン」と講演を始めた。「新しき村」は大正7年11月、白樺派の作家の武者小路実篤が宮崎県に建設。「昼は耕して自分たちの食べるものを生産し、夜は芸術を語り合って共同生活を営む」という理想郷を目指した。

 中田さんは御浜中学校の校歌に「れいめいが丘」が登場することを紹介。この校歌に出てくる「れいめいが丘」こそ、大正8年に誕生した我が国2番目の「南紀新しき村・黎明が丘」であったことを語った。

 「黎明が丘」研究の第一人者であった御浜町の郷土史家・芝崎格尚さん(故人)の後を継ぎ、研究を続けている中田さん。「黎明が丘」を中心となって建設した木本キリスト協会の宇都宮米一牧師や、建設に関わった新宮市の西村伊作など、誕生までの背景、人の関わりなどを解説した。

 中田さんは明治44年に明治天皇暗殺を企てたとして、24人に死刑判決が下った「大逆事件」が「黎明が丘」に影響を与えた可能性が高いことを説明。日本の夜明けを目指し「黎明が丘」と名付け、当時の警察からいわれのない不当な監視を受けながら、理想郷実現に命を燃やした人たちの思いを伝えた。

 要所要所では、阪本さんが当時の様子を伝える記事などを読み上げた。来場者は興味深く講演や朗読に聞き入り「黎明が丘」への理解と感心を高めていた。

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