紀伊半島に甚大な被害をもたらした平成23年台風12号による「紀伊半島大水害」から、今月で15年を迎えた。濁流が住宅をのみ込み、道路や河川、農地など地域の暮らしを一変させたあの日から15年。河川改修などのハード対策に加え、避難を支える仕組みづくりも進んだ。一方で、災害の記憶は年月とともに薄れていく。節目を機に改めて教訓を胸に刻み、次の豪雨から命を守る備えにつなげたい。
平成23年8月25日に発生した大型の台風12号は、ゆっくりと北上し、9月3日午前10時ごろ高知県東部に上陸。動きが遅かったため、紀伊半島には長時間にわたり非常に湿った空気が流れ込み、記録的な大雨となった。8月30日午後5時から9月5日24時までの総降水量は紀伊半島を中心に広い範囲で1千㍉を超え、一部では解析雨量で2千㍉を超えた。全国では死者82人、行方不明者16人に上る大災害となった。
三重県でも南部を中心に雨が降り続き、8月30日午後8時から9月5日正午までの総降水量は大台町宮川で1630・0㍉、御浜で1085・5㍉を観測。熊野市新鹿では9月4日午前5時2分までの1時間に101・5㍉の猛烈な雨を記録した。
県内では御浜町と紀宝町で各1人が死亡し、紀宝町で1人が行方不明となった。負傷者は17人。住家被害は全壊81棟、半壊1077棟、一部損壊71棟、床上浸水702棟、床下浸水832棟の計2763棟に及んだ。
東紀州では各地で河川が牙をむいた。紀宝町では熊野川支流の相野谷川が氾濫し、高岡地区で輪中堤が決壊。道路やライフラインも寸断され、地域住民の暮らしに大きな被害をもたらした。県内では道路損壊226ヵ所、河川の堤防決壊32ヵ所を数えた。
あれから15年。国や県、市町は災害の教訓を基に治水、防災対策を積み重ねてきた。熊野川を含む新宮川水系では河道掘削や堤防整備などを進めるとともに、河川だけでなく流域全体で水害を減らす「流域治水」の取り組みが進められている。
被害が特に大きかった紀宝町では、大水害の経験と教訓を防災対策に生かしてきた。その一つが、災害の発生を想定し「いつ、誰が、何をするか」をあらかじめ定める事前防災行動計画「タイムライン」だ。平成26年7月から試行し、翌27年2月から本格運用を開始。行政や関係機関、地域が連携し、先を見越した防災行動につなげている。
しかし、堤防や砂防施設を整備しても自然災害を完全に防ぐことはできない。国が進める「流域治水プロジェクト2・0」も、気候変動による降雨量の増加を前提として対策を進めている。これまで大きな災害がなかった場所が、これからも安全とは限らない。
大切なのは「自分だけは大丈夫」と考えないことだ。雨が激しくなり、道路が冠水してからの避難はかえって危険を伴う。気象情報や自治体からの避難情報に注意し、高齢者や障害者など避難に時間を要する人は、特に早い段階で行動する必要がある。ハザードマップで自宅周辺の危険箇所を知り、避難先や経路を家族で確認しておくことも命を守る備えとなる。
15年が過ぎ、紀伊半島大水害を知らない子どもたちも増えた。被災した地域の姿を知る人が、あの日何が起こったのか、何を教訓として残したのかを次の世代へ伝えることも重要な防災である。
「災害は忘れたころにやって来る」という。しかし近年、豪雨災害は忘れる間もなく各地で繰り返されている。自然の力を止めることはできなくても、備えと早めの行動で守れる命はある。紀伊半島大水害から15年。あの日の記憶と教訓を風化させず、地域全体で次の災害に備えたい。

