300人救った先人の教え 津波が来る!高台へ! 金山小 鈴木美文さんが防災講話

 熊野市金山小学校(山上克俊校長)は9日、東南海地震の津波体験などを伝えている井戸町の鈴木美文さんを講師に防災講話を行った。同小の4年生36人と、新鹿小中学校の子どもたちが受講。過去の教訓から、大きな地震が発生したら高台へ避難することの大切さを学んだ。

 元学校長の鈴木さんは、子どもの頃、昭和19年12月7日に発生した東南海地震の津波を体験。その経験を元に津波災害体験読本『津波が来る、子どもを逃がせ!』や、幼児・児童向け物語『つなみじぞうのあるまち』などを手掛け、子どもたちに自然災害の恐ろしさや身を守る方法などを伝えている。

 この日は三重県に緊急事態宣言が発令されているため、ウェブ会議システムZoomで金山小学校と新鹿小中学校、鈴木さんの自宅をつなぎ講話が行われた。鈴木さんは児童たちに「皆さんはコロナで大変な時代を生きています。僕たちの時代は戦中戦後でした」と話し、昭和の東南海地震を振り返った。

 地震は、鈴木さんが友人宅へ遊びに行っている時に発生した。とても立っていられない揺れで、這うようにして外へ。地震がまた来るかもしれないからと、一度は船で海へ出ようとしたが、海の異変に気がついた森本福太郎さんという人が「津波というものが来るかもしれない。高いところに逃げよう」と先人の教訓を思い出し、高台への避難を呼びかけた。

 津波はものすごい力で町を飲み込んだ。3回目の津波でひときわ大きな屋根の建物が流された。それは荒坂国民学校。大人たちは、学校に300人の子どもたちがいたと思い、泣き崩れた。

 だが、子どもたちは「津波が来る、子どもを逃せ」の言葉に助けられ、高台へ逃れ全員が無事だった。鈴木さんはその時、母親と再会できた心境に言葉をつまらせた。

 当時は戦時中。津波による被害は情報管制され、避難物資や救援も届かなった。寒さが厳しくなった12月。鈴木さんは焚き木で暖を取り、サツマイモを拾い集め非常食にしたことなどを語った。

 東南海地震の津波では、二木島で5人、新鹿で13人が亡くなった。中には自宅に物資を取りに戻り波に飲まれた人もいたという。鈴木さんは「命より大事なものはない」と話し、災害体験から「備えあれば、憂い無し。避難訓練や地震が起こったときの自助。家に帰ったら家族で話し合ってください」と呼びかけた。また、先人から伝えられた教訓が300人の子どもの命を救ったことから、津波の恐ろしさを子々孫々に伝えていくことの大切さを語り「地震の揺れが終わったら、早く、上へ上へと逃げることの出来る場所へ」と訴えた。

 児童たちは真剣に鈴木さんの話を聞き、地震後の生活や、食料をどうしたのかなど、次々と質問。鈴木さんの体験談から、日頃から災害に備えることや避難の心構えが命を守ることを学んでいた。

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