各小中学校などにも寄贈 「稲の海渡来」を絵本に 鈴木美文さんがまとめる

 熊野市井戸町の元学校長、鈴木美文さん(87)はこのほど、稲の海渡来を絵本にした「熊野に流れついた稲」を制作。5日、表紙絵や挿絵を担当した木本町の平谷倔司さん(87)とともに熊野市役所で内容について記者発表し、熊野市南郡の全小中学校や熊野市立図書館、熊野市歴史民俗資料館、県立図書館などに寄贈することを明らかにした。

 鈴木さんによると、教え子である花の窟神社の山川均宮司との話の中で、コロナ以前の修学旅行生は団体で説明を聞いて帰っていたが、コロナ後は5~6人のグループで写真を撮ったり説明を聞いたりして大変熱心であることを知った。そこで、花の窟神社は日本最古の神社であることだけではなく、稲の海渡来についても調査してまとめることを約束した。

 稲の海渡来については三重県が1999年に発刊した「みえ東紀州民話」で故・花尻薫先生が記述しているが、熊野市文化協会が1978年に発刊した「伝説の熊野」からも著者である平八州史先生の記述を発見。その中には鳥取県の植物学・民族学研究者による「熊野に稲が海を流れ着いたことは間違いない」との〝お墨付き〟も見つかったという。

 その後、鈴木さんがまとめた記述は書道家の川端節子さんにより額として奉納されたが、1700字に及ぶ長文であったことから、今回の絵本製作に至った。

 絵本はA5版30㌻で、縄文時代後期の暮らしから稲の海渡来を伝える内容。イザナミ、イザナギ夫婦が有馬の海に流れ着いた稲の籾を津の森や山崎に蒔き、数年をかけて稲作が広がっていくという物語に仕上げた。その中にはイザナミのお墓が花の窟神社のご神体であることや、日本書紀に記載があること、お綱掛け神事などについても紹介されており、平谷さんのやさしい挿絵で見やすく、分かりやすく仕上げられている。

 平谷さんは「時代考証を頭に置きながら、何とか先生のご期待に応えられればと描きました」とし、鈴木さんは「有馬町は縄文の後期から稲作を行っており、お綱掛けに使われる大しめ縄は熊野市の宝であると考えている。今後、大しめ縄が文化財になることにも期待したい。児童生徒には、稲の海渡来と合わせ日本書紀の版木にもあるお綱掛けが今も引き継がれていることも知ってもらいたい」と期待。寄贈を受けた倉本勝也教育長は「稲にまつわる神話を、子どもから大人までが親しみやすい絵本という形でまとめられたのは誠に素晴らしく、寄贈は本当にありがたい」と感謝した。

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