1年半の調査をまとめる 有本彦六氏を論文に 日体大の助教と准教授29年の生涯余さず

 日本体育大学オリンピックスポーツ文化研究所が年1回発行する学術雑誌「オリンピックスポーツ文化研究第10号」がこのほど発刊され、日体大の関口雄飛助教と福井元准教授による熊野市木本町出身の五輪選手、有本彦六さんを調査しまとめた原著論文「戦没オリンピアン・有本彦六のライフヒストリー:体操競技をめぐる指導理念―『日体スワローの魂』の形成とその実践」が掲載されている。

 五輪選手顕彰事業として、長年有本彦六さんと笠松茂さんの偉業を紹介してきた熊野市駅前・木本町まちづくり推進委員会によると、論文は日体大の大学祭「日体フェス」における展示・講演のために作成され、その調査結果として提供されたもの。同委員会も資料提供などを行ったという。

 論文は生い立ちから木本中入学と競技部での活動、日本体育会体操学校(日体大)入学と器械体操部での活動、ベルリン五輪日本代表への選出、29歳での戦死に至るまで詳細に記述。文武両道の資質、誰からも慕われた人柄、日本で初めてという片手倒立完成の経緯、五輪前後の木本町挙げての熱狂ぶり、五輪後の日常生活、大日本帝国海軍の臨時招集、台湾北方で戦火に散るまで、1年半に及ぶ調査の成果を綴っている。

 21ページに及ぶ論文には、貴重な写真も数多く添付。最後に「有本は、木中時代よりいわゆる文武両道で、同級生や下級生には尊敬され、教師には信頼される人物であった。体操学校在学中、当初はベルリン五輪に出場できるとは全く思っていなかったが、最終予選では2名の選考委員が揃って『猛練習』と賛辞するほどの練習を積んだ有本が技術面での急成長を遂げ、ギリギリのところで切符をつかんだ。三重県初のオリンピアンの誕生には町中が歓喜した。五輪後、有本が指導を行う体操部では技術向上に拘る猛練習が重ねられた結果、部員には日体独特の不屈の精神が養われていった。有本彦六の生涯を跡付ければ、彼が残したという『日体スワローの魂』とは、体操の地位を欲望したり、わざの外形を追及したりする姿勢ではなく、それと真摯に向き合い、主体的かつ自主的にわざの本質を捉え、かつ、圧倒的な練習量を確保することによってその技術向上を追求する態度であったといえよう」などと結んだ。

 発行元の同研究所では「論文は僅か29歳という若さで戦場に散った、本学の戦没オリンピアン・有本彦六先生のライフヒストリーを描き出しています。1年半にわたって進められたプロジェクト1の成果で、この取り組みをきっかけに、2025年度より、プロジェクト1の一環として『戦没同窓生名簿の作成』をスタートさせた事実を、研究所の歴史の大切な1ページとして記しておきたいと思います」としている。

  • URLをコピーしました!