12日に告示された熊野市長選挙は19日の投開票に向けて、激しい選挙戦を展開している。過疎・少子高齢化に伴う人口減少を最たるものとして、現役世代や将来に向けた課題が多い熊野市の将来を託す重要な選挙。2人の候補者の横顔を紹介する。
熊野市井戸町出身。木本高校から大阪府の修成建設専門学校卒業。建築の設計をメインで学び、その後大阪の設計事務所、建設会社等での勤務を経てUターン。熊野では建設事務所勤務などを経て結工房を開設。設計・管理の仕事などに携わってきた。平成30年に熊野市議会議員に初当選。2期目の途中で市長選出馬のため自動失職した。昨年5月から今年9月までは副議長を務めた。
政治を目指したきっかけは20年ほど前に大阪からUターンして、森本繁史元県議の勉強会に誘われ、そこで有識者の話を聞き、意見交換をする中で興味を持つように。また、熊野大花火大会のスタッフとして活動するなか、市職員が一生懸命献身的に運営を支える姿を見て、「この人たちと一緒に仕事をするにはどうすれば良いか」と考え、市議会議員なら何か役に立てるのではと立候補した。その後、鈴木英敬氏が知事時代から何度か顔を合わせる中で、政治家、議員たるものはどういうものかを学んできた。
趣味は山登り。木本高校では山岳部に入部して以来30年以上にわたって山登りを楽しむ。その他にも水泳や空手、アウトドアなどに勤しみ、空手は38歳までは現役で大会にも出場していた。料理好き、甘いもの好きな一面もあり、自作のあん巻きは好評。カレーやチャーハンなどは子どもたちも「美味しい」と太鼓判を押す。「あとはアウトドアが大好きで、熊野の自然の中で、すごく楽しく暮らしていると思っております」と熊野の自然の魅力を語る。
座右の銘は「初志貫徹」。これを肝に銘じて議員活動を行ってきた。地域から受けた励ましでは「ありがとう」が一番の力になり、活動の原動力になっている。お酒はビール、日本酒が大好き。「特に日本酒は新潟のお酒が好きで、他にもいろんなお酒を取り寄せたりして、ちびちび楽しんいます」と笑顔を浮かべる。
今回の市長選出馬の大きな理由となった熊野アグリパーク構想については、自身には不安や不満の声が数多く届いたが、市側は一部の声として終わらせ、市民の声が届かない現状を「熊野市の縮図」と両断。「これを何とか変えたい、市長選に出ることで現実を知ってもらいたいという気持ちで立候補しました」と強い思いを示した。
熊野市井戸町出身。伊勢高校、東京大学医学部保健学科を卒業し、農林水産省に入省。外務省在イタリア大使館出向などを経て平成10年に農水省を退職。同年11月に旧熊野市長に初当選した。合併後の新市もあわせ現在7期目で、8選を目指す。
市長を目指したきっかけは、前市長の西地茂樹氏から要請を受けたことが最大の理由。ただ、若い頃に国家公務員の仕事をする中で、施策の方向性や最終的な権限は全て政治が決定するところを見て、やれるならやってみたいという思いはあった。座右の銘は自らの言葉で「あきらめないこと」と「迷ったら前へ進む」。これは長い経験の中で大切にしてきた。
最も大切にしているのは「市民の声を大切にする」ということ。「しかしながら、どうしても政策的に新しく取り組むことは市民の皆様の意見を聞いてやるべきことと、市民の皆様の想いよりも先にやらなきゃいけないことがあり、全てが全て声を聞いてやると行政的なまちづくりや新たな技術などへの対応は遅れる可能性が出てくる。その中で、日常生活の話や事業者の方々の日常については、把握したり意見を聞いたり対応していくことは一番大切にしていかないといけないことと思っている」と理解を求める。
お酒はワインが好きで、日本酒や焼酎なども楽しむ。市民の声を聴くために、お酒を飲む場も大切にし「そうした場での雑談でふと思いつくこともある。人手不足を実感したのも、そうした場で聞いた話」と効果を口にする。
近年はゴルフと読書が趣味で、時間があれば旅行も。ゴルフは仲間と回り、腕前は「100を切る程度」と謙遜。読書は最近、地球や宇宙、人類の歴史などの本に興味を持ち、気象や地学についての本も手にする。
通過型観光を宿泊型にし、女性を中心に若い人の働く場・活躍する場を創出するという長年の課題を解消することも熊野アグリパーク建設の理由。人口減少は今、しっかりした対応を取らないと将来を担う人材がいなくなる。短・中・長期的にも強い危機感をもっている。短期的には物価高騰をどうするか。一自治体で何ができるかわからないが、市民生活や事業活動への支援は考えざるを得ない」と力を込めた。